外へ出たい
ある範囲がある
その中に入ってみる
けど、
次第に外に出たくなるものなんだなあと
田舎の母のところには、
一匹のメスの老犬がいる
外でつながれており、
朝晩のお散歩にヨボヨボ歩きであるく
そこで、家の目前の畑をドックランに!!
縦10メートル×横14メートル
のドックラン
早速、ドックランへ老犬を離してみると、
ゆっくりと少しずつ歩く・・・
ぽとぽとと自由にあるいている。
しかし、数日してみると
しばらく歩くと
ドックランランの外に出たい感じ。
自由に歩き回るというより、外に出たい。
初めは、ドックランの範囲を自由に歩けて
良かったが、今度はその範囲を超えて外に出たくなる。
人間も、文明も、おなじよね
ある経験をずっとしてると、違う事しなくなる
もっと、大きな範囲の事に関心を向けたくなる
などなど、
外へ向かい行動は、本能なのね
ハロウィンと非日常を求める気持ち
ハロウィン
仮装して参加するもの
なぜこれに参加するのですか?
のインタビューに
「仮装して非日常になれるから」
非日常・・・を求める気持ち
んー
確かにあった。
あった。
日常を変えたくて、
習い事したり、
転職したり
旅行したり
恋愛したり
これって、日常に連続した習慣の
ルーティーンから
何か刺激が欲しくて
行動していたこともあったように思える。
そして、ある日
非日常を求め
ある内容に出会ってみた・・・
あまりにも非日常な
チョースペシャル!!!!!!
非日常の世界に出会ってしまった。
今ここが、非日常
しかし、日常はこの非日常から
できている
日常と非日常は表と裏
人間がなぜ、非日常を求め
日常を離れたくなるのか、
その本質原因がわかる。
それがわかって初めて
日常が楽しめるんですね
犬とご近所2
そうそう
犬のおかげて、ご近所の方との
コミニケーションが広がった。
これは、かなり楽しい
しかし、これがまた問題も同時に発生する
犬への見方の違い
犬の育て方の違い
犬のしつけの違い
犬との関係の作り方の違い
など、
人それぞれの観点があり
どちらが
正しい?
間違い?
が発生する。
犬の世界を解析している
本や情報はあるが
どれも、違う
それぞれの経験からくる観点で
語っているので、ばらばら。
何を信頼してよいか正直迷う。
飼い主自身が、なんの、
誰の情報を信頼して受け取っているかが
皆違うので、
飼い主どうしの観点が違ってくるのも
当たり前
最終的にはどれも
観点の問題にたどり着くから
おもしろい
犬とご近所
犬を連れてのお散歩
とくに犬の連れの方とは、
初対面でも、即犬の話題で会話がはずむ
犬の散歩のおかげて、
ご近所さんにこんな方が
いらしたのねと・・・初めて知ることに
会社と自宅の往復では、それほどお近所の方との交流が少なく
範囲も狭いかったのが、かなり変わった。
犬をかえして、人との交流が広がっている
犬は昔から人間とともに生きてきた
番犬として、外で飼われていた犬。
そして
今は、人のコミニケーションや
癒し、やすらぎ
そんな風に犬との関係も時代とともに
変化してきている
毎日、楽しく生き生きと・・・って可能?
毎日、楽しく生き生きと
いきる事は可能なのかな・・・
そうできたらいいなと
子供の頃から
感じていたなあ。
ここ最近、
人の
不平不満・愚痴
きいていた
言葉は他人を・出来事を否定しているけど
その奥底には、
自分の存在価値を
認めてくれない事を感じ
何かしら気になった事を
ジャッジして
不平不満・愚痴になってるように
見えた。
自分自身をどうおものか
自分の価値・評価を
他人の認定に振り回されていたら・・・
不平不満・愚痴は永遠に終わらない
自分の価値とは
その前に
自分とは何??
自分とは何者??
その再規定から
毎日、楽しく生き生きと
いきる事は可能なのかなと
思った。